出版社立ち上げ(た)日記

ひとり出版社・人々舎の日記です。

『愛と差別と友情とLGBTQ+』「はじめに」公開

はじめに 〜いったいいつ、日本の「そういう時代は終わった」のか?

  こんな本を書くことになった私も、実は新聞記者としてニューヨークに赴任した一九九三年まではあまりよくわかっていませんでした。当時の日本には、啞然とするほど情報がなかった。今でこそLGBTQ+と並べられた性的少数者の頭字語総称がありますが、私が思春期を迎える一九七〇年ごろには、そういう「男」はみんな「オカマ」でした。その中に「ゲイボーイ」とか「ブルーボーイ」とか「シスターボーイ」とか、よくわからない横文字言葉で細分化されるカテゴリーがありました。「女」版は「レズ」でしたが、それはどちらかと言うと実在の関係性ではなくポルノ映画(ピンク映画)におけるカテゴリーでした(戦後間もなく高等女学校に入った私の母はもっとロマンティックに「エス」と言っていました。女性同士の恋愛感情を「シスター(姉妹)」の頭文字の「S」で隠語化したものです)。女性たちのことはいつだってあまりまともに取り合われていませんでした。
 当時、「オカマ」と「ホモ」は違うと、もっともらしい講釈を垂れる人もいました。私家版のその定義では、オンナっぽいのが「オカマ」で(つまりトランスジェンダーもゴチャ混ぜで)、オトコっぽいのが「ホモ」でした。「ホモ」は普通の男の格好をしているが、「オカマ」は「着流しとか女装」だそうでした。「ホモセクシュアル」を短縮した「ホモ」という外来語はそのころまだ新しい言葉で「オカマ」ほど侮蔑的な響きをまとっていませんでした(今はどちらも同じくらい人口に膾炙(かいしゃ)して同じくらい汚辱にまみれた言葉になりましたが)。だから、こぞって何やらモダンでオシャレな「ホモ」の方を自称する人も多かった―でもそれはみんな、日本のある閉塞したコミュニティ内での定義で、そこから出れば何の意味もない―。そういう時代がずっと続きました。そもそも、テレビで見るカルーセル麻紀や丸山明宏(後の美輪明宏)やゲイバー「青江」のママ以外に「オカマ」を見たことがありませんでした。
 札幌・狸小路にほど近い長屋小路のどん詰まりに、私の高校時代の放課後の溜まり場だった喫茶店『唯我独尊』がありました。その建屋の二階に「海上自衛隊出身の『オカマ』がやっている『マリーン』というゲイバー」があったのですが、その「ママさん」の実物もついに目撃することなく私は高校を卒業して東京に出て行きました。「オカマ」の情報は、あの二階の暗いドアの向こう側の謎とともにほとんど更新されないままでした。
 この本は、そんな私の情報更新の、というか「気づき」のいろいろをまとめたものです。情報を更新するきっかけを得たのは、一九九〇年に出版した『フロント・ランナー』(パトリシア・ネル・ウォーレン/第三書館/一九九〇)というアメリカ小説の翻訳を通してでした。簡単にいえば、そこで私は「ゲイ」という存在を知りました。そしてさらに「オカマ」と「ゲイ」とが、呼び名の方向性は真逆ながらも実体は同じものだということにもやがて気づくことになりました。『フロント・ランナー』出版の二年四カ月後にはアメリカで暮らし始めるのですから、以後帰国までの二十五年近くにおよぶ私の情報更新はほぼアメリカでの現地情報に偏っていると思います。でも、学問の分野でも「日米比較文学」なんていうジャンルがあるくらいですから、そこで浮かび上がってくるものはあながち偏ったものでもないはず(だといいのですが)。
 この本では、そんな経緯を行ったり来たりしながらいま日本や世界で起きていることの背景を考えています。ではなぜ私がそんな「気づき」のいろいろをまとめることにしたのか?
 私が日本に帰って来た二〇一八年に、自民党衆議院議員杉田水脈が「LGBTのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子どもを作らない、つまり生産性がないのです」などと寄稿(《新潮45》二〇一八年八月号)したのが、そのドミノの最初のコマでした。いや、この発言だけならよくある「情報未更新の自民党の政治家の話」でした。そこではなくて、実はその後に日本社会で耳にした対杉田水脈批判の方が、私にいろんなことを考えさせ始めたのです。それはちょっとした「違和感」でした。

 テレビ朝日の朝の番組で羽鳥慎一さんの「モーニングショー」という情報番組を見ていたときのことです。テレ朝社員のコメンテイターである玉川徹さんが(この人はいろいろと口うるさいけれどとにかく論理的に物事を考えようという姿勢が私は嫌いじゃないのです)、杉田水脈の生産性発言に対し、LGBTQ+を擁護する立場から「とにかく今はもうそういう時代じゃないんだから」と言って結論づけようとしたのでした。「ん? ちょっと待って」と私は思いました。「もうそういう時代じゃない」って、本当に「もうそういう時代」じゃないの? いつからそうなったの? 「そういう時代」はもう、片が付けられたの?

 仕事柄、日本のさまざまな分野で功成り名遂げた人々に会ってもきました。そういうじつに知的で理性的な人たちであっても、こと同性愛者やトランスジェンダーの人々のことに関してはとんでもなくひどいことを言う場面に遭遇してきました。
 高校時代から私が敬愛した吉本隆明は一九七八年のミシェル・フーコーの来日の際に対談を行い、その後にフーコーの思索を同性愛者にありがちな傾向と揶 揄(やゆ)したりしました。国連で重要なポストに上り詰めた有能な行政官は九〇年代半ば、ニューヨークの日本人記者たちとの酒席で与太話になった際「国連にもホモが多くてねえ」とあからさまに嫌な顔をして嗤っていました。今ではとてもLGBTQ+フレンドリーな映画評論家も数年前まではLGBTQ+映画を面白おかしくからかい混じりに評論していました。私が最も柔軟な頭を持つ哲学者の一人として尊敬している人も、かつて同性愛に対する蔑さげすみを口にしました。今も現役の著名なあるジャーナリストは「LGBTなんかよりもっと重要な問題がたくさんある」として、そのときの杉田発言を問題視することを「くだらん」と断じていました―他のすべてのことでは見事に論理的でやさしくもある人々が、こと同性愛に関してはそんなことを平気で口にしてきました。そのたびごとに私は軽く裏切られた気分になりながらも、一方で自分は、この「すごい知性」たちも知らないことを知っているのだと、ひそかな自負を育ててきました。
 それにしてもテレビや週刊誌での、つい数年ほど前までの描かれ方と言ったら……そういう例は枚挙にいとまがありません。
 表面的にその「描かれ方」は抑制されるようになってきましたが、しかし内実としていったいいつ、日本の「そういう時代は終わった」のか?
「LGBT(Q+)」なる言葉は、二〇一五年の渋谷区や世田谷区での同性パートナーシップ制度開始の頃あたりから主流メディアでも頻繁に登場するようになりました。大手メディアでのニュースとしての扱いはあるいはもっと以前の「性同一性障害」の性別取扱特例法が成立した二〇〇三年くらいかもしれません。とはいえ、二〇〇三年時点では「T」のトランスジェンダーが一様に「GID性同一性障害」と病理化されて呼称されていたくらいですから、「T」を含む「LGBT」なる言葉はまだほとんどの日本人は聞いたことがなかったはずです。
 なので、性的少数者に関して主流メディアが友好的に、肯定的に、あるいは同情的に対応し始めてから、まだたかだか数年しか経っていません。その間のいつかに、「もうそういう時代じゃなくなった」?

 それは信じ難いのです。

 フジテレビのスペシャル番組でとんねるず石橋貴明扮するあの「保毛尾田保毛男」が二十八年ぶりに復活したのは二〇一七年のことでした。「もうそういう時代じゃない」はずなのに、彼は「保毛尾田保毛男」の復活で批判を浴びて以降も無傷で、お笑いタレントの大御所然として振る舞っています。
 足立区の自民党区議白石正輝が「LもGも法律で守られているという話になったら次の世代が生まれず足立区は滅んでしまう」と発言したのは、杉田水脈がさんざん批判されて「もうそういう時代じゃない」と言われた二年後の二〇二〇年十月のことです。その白石正輝がさらにさんざん批判されてたった七カ月後の二〇二一年五月には今度はまたもや本丸、「LGBT理解増進法」案なるものを了承しようという自民党の合同会議で山谷えり子や簗和生ら衆参議員たちが「LGBTは種の保存に背く」「生物学の根幹にあらがっている」「道徳的にゆるされない」などと了承反対を唱えるのです。
 おそらく彼らにはなにか重要な情報が根本的に欠損している―けれどテレビの報道番組や情報番組のコメンテイターたちはそこは飛ばしていっさい触れず、当然のことのように一様にLGBTQ+コミュニティの肩を持って、眉をひそめて「もうそういう時代じゃないんです」と話します。「多様性の時代なんですから」と―その空虚感。あたかも自分には彼らの、あるいは世間の情報の欠落、空洞の責任はないかのように。まるで私はずっと前からあなたたちの味方でした、みたいな。そんな人たちもまた私に、聖書に出てくる「手をすすぐピラト」を思い浮かばせます。

 いや、もちろん心からそう思っている人たち、初めから偏見や欠落などない若い人たちもすでに多く存在しています。でも一方で「汝らのうちでまず、罪なき者、石もて打て」と言いたくなる人もいる。私はその部分はかなり意地悪で、結構そういうことは憶えています。「もうそういう時代じゃない」という言葉の欠損部分を埋めたい―それがこの本を書いたいちばんの動機でした。「もうそういう時代じゃない」と頭ごなしの公式のように丸暗記して、なんでもそれに当てはめれば正解を答えられるという、そういうことではない。なぜそのような公式が築かれてきたのか? その筋道が欠損したまま、空白のままならば、私たちの〝正解〞な振る舞いも実は空虚なままです。
 私も私の中の空虚を、三十年以上にわたってどうにか情報で埋めてきました。今の「時代」を「もうそうじゃない」と言って強引に、一足飛びに進めようとしても、ジャンプした部分の空っぽさが振りかざされるばかりで誰かが、それも多くの誰かが置き去りになる。だから今からでも遅くはないから、その空洞を埋める―。

 この本は、奇しくも杉田発言があった直後の、二〇一八年十一月から公開され、全世界で予想以上の大ヒットを記録した『ボヘミアン・ラプソディ』の話から始めます。「クイーン」というじつにクイアな名前のバンドのヴォーカリストフレディ・マーキュリーの話です。
 それは「性のバケモノ」とされた「ゲイ」の扱われ方に関係してきます。そして当然、フレディの死因だった「エイズの時代」の話になります。忌避と反発の時代に、米国の人気俳優ロック・ハドソンが与えた影響についても考えます。
 そうやって時代を概観しながら、苦難の中でLGBTQ+がどうやってアイデンティティを獲得していったかをアメリカの黒人解放運動(公民権運動)や女性運動、さらにスポーツ界、演劇界の動向などを参考にしながら考えてみます。
 また一方で、ドナルド・トランプという人物がアメリカ大統領になったことで、「アイデンティティの政治」や「政治的な正しさ(ポリティカル・コレクトネス=PC)」に対する反撃が苛烈になってきた「今」のことを考えます。PCを揶揄するあまり、トランプは、手の不自由な《ニューヨーク・タイムズ》の記者をからかって自身の選挙集会で彼の身振り手振りを大袈裟に真似て見せ、観衆の支持者たちを大いに笑わせることまでしました。バイデンの大統領就任で彼の四年間は終わりましたが、トランプの記憶は終わっていません。
 同時並行して二〇二〇年はまた「ブラック・ライヴズ・マター(BLM)」の時代でした。それもまたLGBTQ+の運動と深く関係しています。
 それらをすべて見てきてたどり着くのは、最終章で触れる「友情と連帯の問題」だと思っています。というかこの本は、私の、私たちの「友情のこと」を目指して書き進められました。
 愛と差別と友情とLGBTQ+。これが読者の方々の何らかの生きるヒントになれば幸いで
す。
 では始めます。