出版社立ち上げ(た)日記

ひとり出版社・人々舎の日記です。

はじめに(『私の顔は誰も知らない』インべカヲリ★)

 「この本に出てくる女性たちは、どんな服装が多いですか?」

 タイトルについて悩んでいるとき、打ち合わせの席でブックデザイナーの吉岡秀典さん(セプテンバーカウボーイ)から、そんなことを聞かれた。私は考えるまでもなく、こう答えた。

 「普通です。その時々で流行っている、女性らしい服。『これを着ておけば普通の人に見られる』とわかっていて、選んでいる人が多いです」

 言ったあと、そんな言葉がスラスラ出てくる自分に驚いた。実際に、何人かの女性たちから聞いた台詞であり、過去の私自身のことでもある。が、改めて言葉にすると滑稽だ。どうして私たちはこうも、〝普通の人に見られる〞ことを意識してしまうのだろう。
 しかし、その答えにインスピレーションを得た吉岡さんは、タイトル文字が外見を装うかのように、ブックカバーを外すと別の姿が見えてくるデザインを考案してくれた。これこそまさに、本書のテーマといえる。
 もちろん服装のことだけを言っているのではない。『私の顔は誰も知らない』とは、社会に適応することを最優先するあまり、本来のパーソナリティが完全に隠れてしまった過去の私であり、似たような経験を持つ、多くの女性たちを表した言葉だ。

 情報過多な時代に〝らしさ〞から逃れることは難しい。こうして「はじめに」を書いている二〇二一年七月の現在も、ネットを開けば、性的な女性モデルの写真を使った青年会議所公開討論会のチラシが物議を醸している。アンチフェミニストたちは、現象だけを見て「この程度で騒ぐな」と言う。しかし、根本の問題は、日常で目にするこうした表現の数々から、女性は外見を使って男性を楽しませる存在であるというメッセージを受けとってしまうことだ。人として対等に生きる土台が、無自覚のうちに奪われてしまうのである。
 これはフェミニズムの問題に限らない。学校教育では異端が排除され、社会に出れば、常識的であることを求められる。外から入ってくる価値観に振り回され、偽りの自分でしか生きることができなくなってしまう。自分の発言を黙殺し、まったく違う人間を演じることが当たり前になってしまうのだ。

 本書は、二〇一九年五月から二〇二〇年八月にかけて、誠文堂新光社のWEBマガジン『よみもの.com 』にて連載した『生きるということは、延々繰り返される消費活動なのか』を、大幅に加筆修正したものだ。
 当初は、私自身のエッセイがメインになるはずだったが、写真家としての私の日常はとにかくいろんな女性と会う機会が多い。撮影でも会うし、個展に来てくれたお客さんとの出会いもある。不思議なことに、〝なぜ女性は偽りの姿で生きている人が多いのか〞というテーマで書き始めると、どんな女性と会っても、そのテーマを軸に語れてしまうことに気が付いた。結果的に、女性たちへのインタビューが半分を占めたが、個人の集合体こそ、社会である。多くのエピソードを通して、初めて見えてくるものがあるのではないか。
 連載の途中で、新型コロナウイルスパンデミックが始まったため、最初の緊急事態宣言中の話など、今となっては懐かしい話も含むが、当時の出来事はそのまま掲載することにした。
 本書を通して、私たちが生きる社会がどういうものか、少しでも考えるきっかけになれば嬉しい。