出版社立ち上げ(た)日記

ひとり出版社・人々舎の日記です。

『愛と差別と友情とLGBTQ+』プロローグ 公開

プロローグ

 小学校五年生の時にビートルズが来日しました。いま調べると六月三十日の夜だった武道館のライヴ中継を、十一歳の私は実家の居間の、大仰にも「ニッポン」と名付けられた(当時は)大型の21型白黒テレビでかぶりつくように観ていました。その年の母の誕生日に父がサプライズで購入した家具調の新製品でした。背後ではその父と仕事仲間が麻雀をしていて、部屋の中にはもうもうとタバコの煙とにおいとが充満していました。そういうのが常態だった昭和四十一年でした。「なんでこんなのがいいんだろうね」とオジサンたちが麻雀牌を片手に言っていました。「キャーキャーうるさくて歌なんか聞こえてないだろうに」。私には勝負が着くたびにジャラジャラと掻き回される麻雀卓の方がうるさかったのですが、とにかくビートルズは評判が悪かった。
 髪が長いというのが一因でした。「女みたいな髪しやがって」。今から見れば「マッシュルームカット」なんて髪が耳に懸かるだけで、「ちょっと長め」程度のものです。でも当時の男子はみんな刈り上げみたいなもんでしたからその程度でも「不良だ!」ったわけで、父と二十も歳の違う本家の伯父などは「気持ち悪い」と吐き捨てるように言っていました。敗戦からまだ二十一年しか経っていない昭和では、外国(西洋)文化はまだまだ文脈もわからぬ唐突なものだったのでしょう。

 しかし、「女みたいに長い髪の、気持ち悪い、不良の」ビートルズが、当時の日本の「オトナ」たちが漠然と不安に感じたジェンダーベンディング(ジェンダーの概念を捻じ曲げ撹乱するよう)な意図を持っていたかは疑わしいと思います。「長髪」は当時、既成概念や体制に対する反抗や反発の象徴でしたし、一方で歴史的な古典音楽家たちの長髪のカツラをも連想させるものだったでしょう。欧米人の友人に聞くと、あのころ彼らの長髪には批判があったが、すでに「ビート族(beatnik)」などのモジャモジャ頭(moptop)が先行していて、そこにジェンダーベンディング的な男女逆転のニュアンスがあったとは記憶していない、とのことでした。というか、あのヘアスタイルはビートルたちと友人とのちょっとした遊びから生まれたものだったようですし(*1)。

 小学生の私は、べつにビートルズが好きだったわけじゃありません。その年に初めて自分で買ったアルバムはローリング・ストーンズのものだったし、以後も高校にかけて、クリームとかジミヘンとかジャニスとか、コルトレーンとかマイルズとか、ずっと重たく激しいブルースやハードロックやジャズに傾倒していました。子どもの頃から「ここより他の場所」「自分以外の可能性」の情報が好きだったのは確かです。音楽で言えば最も自分から遠い、遥か異界の情報が自動的に付随してくる洋楽が好きでした。とはいえ、それも説明的に過ぎます。本当は「なぜ、他の場所?」「なぜ違う可能性?」と問われてもわかりません。知的好奇心? ならばそれは自分の欲動とどう関係しているのか?
 ところが中学生になると、欲動に関してはより(少し)明確に、顧みて思い当たる節があります。確か、一九六九年、若かりし関口宏大石吾朗らが司会を務めていた朝の『ヤング720』という番組で、レッド・ツェッペリンが白黒のフィルム映像で紹介されたのでした。演奏は「グッド・タイムズ・バッド・タイムズ」だったか「コミュニケイション・ブレイクダウン」だったか、いずれにしても私は学校に遅刻するまでその画面に釘付けになっていました。まずはものすごい曲だったこと。自分でも趣味でドラムを叩いていたこともあって、ジョン・ボーナムの重く深いドラミングに圧倒されていました。そこに纏まとわりつくジョン・ポール・ジョーンズの柔らかくもきっかりしたベースのリフ、聞いたこともないジミー・ペイジのギター・フレーズ、そして何より同時に、ヴォーカルの金髪たなびく(ように白黒テレビでは見えた)二十一歳のロバート・プラントが、天使のように美しかったことに目を奪われてもいたのです。まるでミケランジェロダ・ヴィンチの描く両性具有の顔でした。もちろんその時はメンバーの名前も知りません。間もなく札幌の玉光堂で見つけた彼らのデビューアルバム『レッド・ツェッペリンⅠ』の日本版ジャケットは、裏面の四人の顔写真と名前とがまるで入れ違っているという、じつに昭和な代物でした……。

 私が自分で「ゲイ男性」のアイデンティティを選び取ることにしたのはそれからずっと後になってのことですが、十四歳の少年の、あのロバート・プラントへの目の奪われ方は、具体的な性衝動には至らなかったにせよ、なんらかの欲動であったことは確かだと思います。ただこれも、何がどうしてそういう欲動が動いたのか、と問われてもわかりません。ただ、そうだった。だからと言ってその後の私が西洋人を性愛の対象にすることはありませんでした。完璧に美しいと思う人はいても、違った……いわゆる「外専(ガイセン)」(外国人好き)にならなかったのはなぜなのか、その理由もわかりません(ちなみに英語でも「欧米人好き」「アジア人好き」という言葉があって、それは「ポテト・クイーン」「ライス・クイーン」と言います)。

 そういえば今に限らずゲイ男性はどうだこうだというステレオタイプな言い方がよくなされますが、あれって、どこまでがネタなのかよくわからないところがあります。
 いずれにしても、ステレオタイプな抽象像を代表にして物事を論じることには、煩雑な議論が省けるというそれなりの経済性があると思いますが、ここではなるべく、そうした従来のステレオタイプな物言いに捉われずに話を進めていきたいと思います。というのも、私の友人知人のゲイ男性、レズビアン女性、トランスジェンダー男女たちは、本当に巷間言われるステレオタイプにはほとんど当てはまらない人も多い。もちろん、いわゆる新宿「二丁目」などで長年かけて磨き上げられてきたスタイルというものを纏うことはありますが、あれもその場で便利だから流通している一種の「様式」、つまりは「ネタ」で、「期待される人間像」を逆手に取って演じてやっている場合も少なくないのでしょう。

 百万の異性愛者にはさまざまな要素が交差する百万通りの異性愛の在り方があるように、百万の非・異性愛者にもまた百万通りの非・異性愛の在り方があるのは道理です。ビートルズが好きか、ヴィレッジ・ピープルが好きか、聖子か明菜か中島みゆきか、尾崎か矢沢かひばりかちあきか、はたまたラグビーか柔道か水泳かフィギュアスケートか、熊か狼か猫か馬かポテトかライスか―並べ立てればさまざまな趣味嗜好があり、そしてそれはまたさまざまな指向ともどこかで働き合いながら深いところでとても原初的な欲動と関係もしているのでしょう。そこまで来るとなかなか説明は難しい―。

 最初にビートルズ、次にレッド・ツェッペリンに話を振ったのも、実は二〇一八年に公開され、世界的なヒットとなった映画『ボヘミアン・ラプソディ』のクイーンのことを、この本で考えることの皮切りにしたいと思ったからです。そして私は、クイーンが嫌いでした。理由は、ハード・ロックじゃなかったから。八〇年代の音楽へとつながる、なんだか人工的でコマーシャルな印象があったのです。でも、この映画での「彼ら」はとても素敵だった。本当にいい映画でした。

映画『ボヘミアン・ラプソディ』と「普遍的な愛の物語」

ボヘミアン・ラプソディ』が米国ゴールデン・グローブ賞を取ったとNHKニュースが伝えたのはフレディ・マーキュリーが死んでから二十七年が経った二〇一九年早々のことでした。NHKはこの映画を「英国のロックグループ『クイーン』が世界的なバンドになるまでを描いた作品」と紹介しました。
 無難な紹介でしたが、しかしなんだかそれじゃあ観る気も起きない。とても重要かつ本質的な「紹介」が抜け落ちていたからです。

 外されたポイントはどこにあるのか? この映画はクイーンそのものというよりメイン・ヴォーカリストフレディ・マーキュリーを軸とする映画なのですが、キモは、彼が男性同(/両?)性愛者で、HIVに感染するということでした。HIVとはヒト免疫不全ウイルス、当時「死病」と言われていたエイズ後天性免疫不全症候群を発症させる原因ウイルスです。そしてそこに〝家族〞としてのバンド・メンバーの「友情」が関係してくる。そういう構造がなければこの映画は「世界的なバンドになるまでの成功譚」という凡庸な内容となって、ゴールデン・グローブ賞にはノミネートすらされなかったはずです。
 いやいや短いニュース原稿の中でそんな詳細まではとても言えない、というのは当然です。ゲイだとかエイズだとかに触れても、それだけでは逆に偏った紹介になってしまうし、勢い、いろんなことを今さらながら説明しなくてはならなくなる。そうするとだんだんと面倒くさい話になってきて、ああ、そんなことまで聞きたくない、となります。ゲイだとかエイズだとか、急に言われたってこちとら関係ないよ、です。
 でも、この映画からゲイとエイズを取り去ったら、あんな世界的な感動は生まれなかったはずなのです。

 ゲイやエイズやその他もろもろ、そういう一つ一つ(の些細なこと、あるいは些細なこととされること)をこれまで何十年にもわたってうっちゃってきたせいで、私たちの「世間」では、人権に関して欧米では通じる話を下支えする、基本情報や基礎知識があまり共有できていないように思われます。共有できていなくとも、人はその時代その時代で結論を導き出さねばなりません。しかしそれがいつも文脈も史実も知らぬ中で唐突に出くわす問題なものだから、結論を出すために今の自分が拠って立つ情報が、何周も前の無知や偏見に彩られたものだとすら気づかないままだったりする……。
 だからなのです、そういう一つ一つの些細なこと、あるいは些細なこととされることを、後になって急に一気に開陳したりされたりするのではなく、その都度その都度片付けてゆくことが大切なのは。

 ゲイだとかエイズだとかの話を面倒くさいと感じるのは、日本社会だけではありません。先ほど人権先進国のように書いた欧米でだって五十歩百歩です。実はこの『ボヘミアン・ラプソディ』の公開に先立ち、配給の20世紀フォックスは「フレディ・マーキュリー」がヘテロセクシュアル異性愛者)のように見える(女性といちゃつくシーンはあるがゲイのシーンはない)予告編第一号を作り、かつその映画サイトではフレディの病名をエイズではなく「命を脅かす病(a life-threateningillness)」としか記述していませんでした。
 実際の映画の編集では「ゲイ」の記号(サイン) がのっけからちりばめられていましたし、エイズであることも正面から取り上げられていたのですが、結果、配給会社のそのような腰砕けの姿勢を知ったプロデューサーのブライアン・フラーやメディアが当初の無難すぎる広告戦略に厳しい批判を展開し、逆にそれがSNS上で話題を呼びもしました。

 そういうことはこれまでもよくありました。ゲイやエイズを「面倒くさい」とするだろう「世間」の推定反応を背景に、それらを(その種の話なら見に行かないという)マーケティング上のリスクとして排除・消去する行いを「De-Gay(脱ゲイ化=ゲイ的要素を消し去る)」、あるいは「straight-washing(異性愛洗浄=異性愛の振りで洗い覆うこと)」と呼びます。この映画の広告戦略では同時に「De-AIDS(脱エイズ化)」も行われたわけです。同じことは頻繁に繰り返されてきました。なにせこの「商品」のメインの標的顧客層は、ゲイにもエイズにも無関係な(と思われている)圧倒的多数層だからです。

 欧米でさえそうなのですから、日本ではこの振る舞いは公然と批判されることもなく続いてきています。古くは一般公開のゲイ映画として話題になった『アナザー・カントリー』(一九八四)の主演俳優ルパート・エヴェレットがプロモーションで来日した際に、本国英国ではゲイであることをオープンにしていたにも関わらず当時の日本の配給会社の〝配慮〞で「用意された」〝ガールフレンド〞を同伴していたことです。オスカーを受賞したあの紛うことないゲイ映画『ブロークバック・マウンテン』(二〇〇五)は、やはり配給会社から「ゲイ映画」として宣伝することは控えてほしいとの要望が映画評論家らに伝えられていました。日本でもヒットし、オスカーにもノミネートされた『君の名前で僕を呼んで』(二〇一七)の日本語サイトにもまた、「同性愛」を示唆するような言葉は一つもありませんでした。そう、いずれの場合も「これはゲイ映画ではなく、人間の普遍的な愛の物語だ」というのが謳い文句なのです。

 実例を示しましょう。手元に、ある配給会社から報道向けに届いた「お願い」と題した紙切れがあります。日本では二〇一六年公開の映画でしたが、そこには「ご掲載の際の注意事項 ※必ずご一読くださいますようお願い申し上げます」と下線が引かれた太字のテキストがあり、その下に次のような具体的な指示が記されてありました。

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本作のご掲載に関しましては、製作元の意向により、〝レズビアン〞、〝レズ映画〞などの表記、又は劇中のセクシャルな描写のみを取り上げる形での掲載はNGとさせて頂きます。本作は、レズビアンがテーマなのではなく、たまたま巡りあった人間二人が惹かれあうことをテーマにした映画である、という理由です。何卒、ご協力下さいますようお願い申し上げます

「脱ゲイ化」で助長される「性のバケモノ」

 ことは映画に限りません。ある米国系出版社の外国人社長は、二〇一八年に翻訳刊行された自社の本(アルツハイマーに見舞われた老齢の父親と息子の感動のノンフィクション)で、著者である息子さんの紹介文から「ゲイ」という単語を排除した顚末を教えてくれました。

「この本の内容は、著者がゲイであることとは直接的にはなんの関係もありません。父親のことを書いたのがたまたまゲイの息子だったというだけのことです。それでも私は、紹介文に著者が『ゲイ』であると記すことはふつうに当然のことと思っていました。それは著者がイギリス人でアイルランド系で、というのと同じ背景情報だと思うからです。けれど日本人スタッフから『だからこそ「ゲイ」と書かない方がいい』と言われました。『ゲイの話かと最初から敬遠される恐れがあるから』と言うのです。まさかそう言われるとは予想していませんでした。まだそんなことを言ってるんですかと反論しましたが、ここは日本、その出版風土を知っている彼らに結局押し切られました」

 べつにいちいちゲイだと言わなくてもいいじゃないか、とも言われます。そのとおりでしょう。ただ、「いちいち言挙げする」というのではなく、ふつうにゲイであることは言ったっていいはずです。さらにはイギリス人だとかアメリカ人だとかの白人や黒人ならばパッっと見てだいたいはすぐ「外国」人だとはわかる一方で、ゲイとかレズビアンとかは見ただけではわからないし、私たちの「世間」では「そう」だと言わない限りは「そうじゃない」(異性愛者である)ことがデフォルトとして大前提のようです。普段はそれでも結構ですが、私たちの「世間」はよくそこから踏み込んで「ご結婚は?」「お付き合いは?」「お子さんは?」と、本当は大して興味のない質問でもそれを訊くことが、さらに一歩お互いの親密さへと踏み進むことであるかのように慣習的に推奨されています。そしてその筋で進んでいくとどんどん話が合わなくなってくるのです。

 つまりはその話の大元の「大前提」が、必ずしも真実とは限らないのだという情報アップデートのためにも、さりげなくふつうにゲイであると言ったってぜんぜん問題はないのではないか? ゲイが存在することが見過ごされたり軽んじられたり敢えて無視されたりしてきた経緯があることを知ればなおさら、いちいちとは言わぬまでも肝心なところではふつうにゲイだと言って悪いわけがありません。ところがなかなかそのさりげなさが難しい。なぜなのでしょう?

 それは、「ゲイ」という存在が長いことただの性的倒錯者だったり変態だったりセックスのバケモノだったりと思われていた歴史が続いてきたからです。日本のあるラッパーだかDJだかがツイッターで唐突に「いや、マジでホモとかクソだと思ってるね。性の対象が男ってのがありえない。女を見るように見られてるってのは考えすぎか? なんにしても気持ち悪い。考えてみろよ、男が男の肛門に陰茎をぶちこむ行為はどうなんだよ」と宣言して炎上していたのは二〇二〇年十月のことでした。
 男性間性行為は西洋や中東ではユダヤ教の昔から、アジアでもヒンドゥー教や仏教の法典・経典に禁忌として示されています。つまりはもっぱら性モラルの問題として同性愛が語られてきた。男性同性愛者というのは「セックスや性的快楽の追求しか考えていない不道徳なヘンタイ」だったのです。だからせっかく勇気を出してカミングアウトしても、「なぜいちいちゲイだと言わなければならないのか?」と眉をひそめられる。

 さすがに今では表立ってそこまでの嫌悪を表明する人は先ほどのDJみたいな人以外よほどの宗教原理主義者くらいしかいないでしょうが、しかしゲイのことを表立って話さないこと、あるいはより積極的にその言挙げを忌避すること、つまり「脱ゲイ化」を通用させることは、いつまで経っても「ゲイ」が「セックスのバケモノ」であるという旧来の情報を、アップデートしないままに放置してしまうことにつながるわけです。

 ちなみに、私は性的〝倒錯〞や「セックスのバケモノ」という在り方自体を否定しているわけではありません。人間は、というか生き物はすべて性的な存在ですし、性に関して生殖以外の意味を発見したのもまた、とても人間的な在り方だと思っています。
 なので、私が反論しているのは「ただの性的倒錯者やただのセックスのバケモノ」とだけ規定されてしまうやり方です。人間がそんな「ただの」単純な存在であるわけがない。「単純な存在」に憧れることはありますが、「性的存在としてのみの人間」という考察もまた、「セックスの人間化」の時代を経たからこそそれを担保にして可能なのであって、私はそれらを片目ずつ割り当てて見ていたいと思うのです。

 さて先ほど「私たちの『世間』では人権に関して欧米では通じる話を下支えする、基本情報や基礎知識があまり共有できていない。共有できていないから、文脈も史実も知らぬ中で唐突に導き出す結論が、何周か前の無知や偏見に彩られたものだと気づかない」ということを書きました。
 人権に関する齟齬―私たちが日々話をする仕事相手とか目にする時事問題とか遭遇する経済事情とか、今たちどころに世界とつながるさまざまな分野、さまざまな状況下で、これまでアップデートを放置してきたことによるさまざまな齟齬が生じ始めています。例えば足立区という東京の一地域の区議会議員の「同性愛が広がれば足立区が滅びる」発言が、アップデートを完了した側と直結しているこの世界ですぐさま反発を呼び、あっという間に英語ニュースともなって伝わり炎上したりします。もう二十年以上も前から、世界では同性婚法制化の動きが加速していますが、その同性婚の法制化の理由が、私たちの「世間」ではなかなか理解されていないままだからです(*2)。二〇〇五年に世界で三番目の同性婚法制国となったスペインの当時の首相ホセ・ルイス・ロドリゲス・サパテロは、法制化に際して「我々は、同性婚を認める最初の国になる栄誉は逃したが、最後の国になる不名誉は回避できた」と演説しました。なぜそれが「栄誉」であり「不名誉」であるか、日本の政治家の多くは理解していないでしょう。

 ちなみに、欧米の企業が自社で働く性的少数者の社員を日本に長期派遣しようとする場合、その社員のパートナーに配偶者ビザが発給されないなどの問題が生じ、結局、派遣を断念するケースも生じています。そこで米国の在日商工会議所(ACCJ)は二〇一八年九月、日本政府に対し、オーストラリア、ニュージーランド、英国、カナダ、アイルランドの在日商工会議所との連名で「LGBTのカップルにも婚姻の権利を認めることを提言する」とする、異例の声明を提示しました(*3)。

 外国の企業や自治体はなぜ、自分たちの従業員や職員の同性カップルに異性カップルと同じ福利厚生を与えているのか? これも同性間の性的関係がセックスや性的快楽のことだけ0 0 だと考えていたらよくわからないままでしょう。そうした国々や企業などと仕事や学問や家族や友人知人を通じてつながるとしても、そこを触れないでお付き合いできるならばいいのですが(「ご結婚は?」「お付き合いは?」「お子さんは?」)、なかなかそれは難しいかもしれません。

 冒頭の『ボヘミアン・ラプソディ』でも同じことが起きます。観客たちは、そこに描かれる「ゲイ」や「エイズ」という重要なサブプロットの正体を十分に理解できないまま物語を咀 嚼しなければならなくなります―フレディはどうして女性ではなく男性に惹かれていくのか? なぜセックスに溺れたのか? どうしてHIVに感染してしまうのか? そもそも同性愛って、何なのか? そしてなぜ映画のバンド・メンバーたちは、彼がゲイでHIV陽性とわかった後でもああもやさしく描かれているのか?

十把一絡げで「ゲイ」だった「LGBTQ+」

 ところで外部(非当事者)社会にとって「ゲイ」とか「ホモセクシュアル」という言葉はかつては、今でいうLGBTQ+全部のことを指していました。というか、LGBTQ+の当事者たちが自らのアイデンティティを語り始めるまでは、その呼称や研究自体も適当なものだったせいで、その全部が「同性愛者」(みたいな)「性的異常者」だと分類されていたわけです。つまりどうでもよかったわけで、(非・ホモセクシュアルの人々という)圧倒的多数の(と思われている)人々にとっては、自分たち以外の「変な人たち」の呼称などべつに大して意味もなかった―それはちょうど、鳥に興味のない人にとっては鳥はみんな鳥で、植物に興味のない人にとって雑草はみんな雑草であるようなもんです。つまり「ホモセクシュアル」も「ゲイ」も、外部世界からは「変(クイア)な連中」全部のことだった―。
 そのうちに「ゲイ」の意味をコミュニティ内部から自分たちに引き寄せるアイデンティティ獲得の時代が始まります。
「現代ゲイ解放運動の嚆矢 」と呼ばれる一九六九年の「ストーンウォール・インの暴動」(あるいは「ストーンウォールの反乱」)のことはすでに知っている人も多いでしょう。そこで先頭に立って警官隊と対峙したのは、今から振り返れば現在の「ゲイ」という言葉から連想する「男性同性愛者」たちというよりは、主に当時「ドラァグクイーン」と呼ばれていた女装のゲイ、あるいは男性から女性へのMtFトランスジェンダーたち(手術をしていようがいまいが)や男装のブッチ・レズビアン、あるいは女性から男性へのFt M(*4)トランスジェンダーたち(手術をしていようがいまいが)だったことがわかってきました。厳密に言えばそれはつまり「男性同性愛者」を意味する「ゲイ」たちの暴動というよりもむしろ、「男だか女だかわからない変な連中」としての「ゲイ」たちの暴動だった―むしろ「ストーンウォール」以前は、彼ら彼女らこそが「ゲイ」を自称していました。社会の主流に紛れ込みたい白人男性同性愛者たちは「ゲイ」と呼ばれることを逆に嫌っていたのです。
 暴動の先頭に立ったドラァグクイーン、ブッチ・レズビアントランスジェンダーらの中には黒人やラティーノらの人種的マイノリティも多く、さらにはセックスワーカーも多く、これは今で言うインターセクショナリティ(差別の交差性)から言ってもさらに周縁化された層です。数や経済力として中心を占めた「白人の男性の同性愛者」たちは、今では、その割には〝暴動〞には直接参加していなかった(遠巻きに眺めていた)と考えられています。
「女だか男だかわからない変な連中」の怒りの臨界点越えと、彼ら彼女らに比べれば相対的にまだ恵まれていた白人の男性の同性愛者たちの大多数との齟齬、軋轢はその後も続きます。しかしそのうちに、そんな「恵み」の社会への徹底反抗に逡巡していた白人男性同性愛者も、四の五の言っていられない時代が訪れます。エイズの時代です。

「カミングアウト」~愛と性欲の「バベルの塔

 ゲイの話題を避けること、「De-Gay(脱ゲイ化)」のそもそもの端緒、「べつにいちいちゲイだと言わなくてもいいじゃないか」というそれとない一連の圧力の出どころは、ゲイが「セックスや性的快楽の追求しか考えていないヘンタイ」だと考えられてきたからだと書きました。「ゲイ」と発語するのが、性的な言挙げだと思われている―。

 なので「私はゲイです」というカミングアウトは、極論を言えば、その相手には「私は同性とセックスしたいと思っているんです」と打ち明けているように聞こえてしまう―そういうメカニズム。
 カミングアウトの困難とは、たとえさりげなくであっても「ゲイです」と表明することが、「おまえのセックスの話なんかいちいち聞きたくないんだよ」という反射的な反応を惹き起こしてしまうことが原因です。こちらは自分の生きる在り方を話しているつもりなのに、相手は単にセックスの話だと受け取るという、まるでバベルの塔みたいな思いの不通。

 もっと敷衍(ふえん)してしまえば、カミングアウトしてわかることは、カミングアウトした自分の〝正体〞というよりもむしろ、カミングアウトされた相手の〝正体〞の方なのかもしれません。その相手が、LGBTQ+のことをどういうふうに考えているか、とか、人権とか差別とか社会正義とかいうものを(そして愛も)どう考えてきたのか、といった生き方の正体……すごく挑発的な言い方ですが。

 とはいえ、「ゲイ」が「セックス」の話であるという思い込みに、根拠がないわけではありません。

 私の高校時代からの親友はその後札幌市役所の公務員となって結構偉いところまで行った人物ですが、その間に公共イヴェントやら男女共同参画事業やら人権問題などにもタッチし、当然のことながら札幌で長く続けられてきた「レインボーマーチ札幌」の市側の協力に関わりもしました(*5)。その男が私に「なあ、あれは一体何なんだ?」とすごい顔をして聞いてきたことがありました。
 札幌の中心部をパレードして性的少数者の存在を示し、かつ孤立している目に見えない〝兄弟姉妹〞たちを励ます、というこのイヴェントでは、事務局が公式パンフレットを作成して市長のメッセージなども掲載するのですが、そこに集まった協賛広告が乱交だフンドシだ緊縛だハッテンだとまるでセックスだらけだったと言うんですね。「あんなものに市長のメッセージなんか載せられないぞ。何考えてんだ、あいつら」と。

 私と何十年も付き合ってきて私の書くものも読んできた男ですから、よくある薄っぺらな偏見とは違うと思うのですが、まあ、ゲイ関連の広告が「性」に偏る事情に通じていなければ、突然出遭った「性産業」の実態にビックリするのも宜なるかなとは思います。

 なぜゲイ(ここでは男性同性愛者)向けのメディアが「性」に傾くのか?―というテーマの立て方が正しいとは、実は思ってません。立場が同じなら、男性異性愛者のメディアだって同じことになると思うからです。それ以上に、新宿歌舞伎町の裏側を知っているならそれは新宿二丁目の裏側とほとんど同じ、いやいや絶対的に数が多い異性愛者たちのヴァラエティから言って、歌舞伎町の方がよほどヤバいというのが私の印象です。「立場が同じ」というよりもむしろ、数や認知の上で圧倒的優位に立っているその立場ゆえに、異性愛者(と分類される人)たちの性への躊躇・逡巡・屈託・罪悪感のなさは同性愛者たちの想像を遥かに凌駕しているのではないかとさえ思っています。違うのはただ、その絶対的な需要人口の多さによって、彼らには交通可能な供給場所がTPOのすべてでゾーニング規制されても十分に成立しているという点でしょう。

 とはいえ、そんな事情を知る由もなかった私の思春期が、いちばん初めに抱いた疑問は「同性愛」という言葉の意味でした。これは「同性」に対する「愛」の問題なのか、それとも「同性」への「性愛」の問題なのか、というのがわからなかったのです。天使のような(あるいはとても悪魔的な)ロバート・プラントの外見に魅了されていた中学二年生でした。当時は『広辞苑』でも百科事典でも同性愛は「性的倒錯」だとか「異常性欲」「変態性欲」と書かれていた時代ですから、世間は圧倒的に「同性愛」は「性」の問題だと捉えているようでした(*6)。

「同性愛」という翻訳元の「Homosexuality」にも「愛」の痕跡はどこにもありません。「-sexuality」の部分を「性愛」というふうに「愛」という文字を添えて訳したのは、誰かさんの忖度なのか斟酌なのか。しかしいずれにしてもこの「愛」は「sex」に基づく心理的な「粘着」を言い換えた翻訳上の補足語なんでしょうし。つまり欲動と欲望の結果の産物を、私たちはなんだか麗しく「愛」と呼びなした。

 当時読んだ芥川龍之介の『侏儒の言・西方の人』に、「恋愛はただ性欲の詩的表現を受けたものである。少なくても詩的表現を受けない性欲は恋愛と呼ぶに値しない」と書いてあって、十四歳の私は泣きました。そのころ初めて人をすごく好きになっていたからです。同性の同級生でした。私はそれを友情と愛情の混淆物だと考えていました。けれどその「友愛」にくっついて、自分の「性」が影のようにうずうずと蠢うごめいていることも知っていました。「性」はそのころ、不安であり不穏でした。芥川の言葉に反応したのは、もちろんその不安で不穏な「友愛」が「恋愛」と同義であろうことにどこかで気づいてもいたからでしょう。

 余談ですが、くだんの芥川のアフォリズムは、ずるいレトリックを使っています。「恋愛はただ性欲の詩的表現を受けたものである」と言って、「恋愛」と「性欲」とを同じ価値に置きます。でも二つ目の文で「詩的表現を受けない性欲は恋愛と呼ぶに値しない」と、「呼ぶに値する」「恋愛」を「性欲」より上のものと読んでしまうように誘導するのです。どっちなんだ、とツッコミたくもなりますが、これを書いた当時の彼だって三十代そこそこ。このことを書いていること自体、芥川もまた「愛」と「性」のあわいで行ったり来たりしていたということでしょう。もっとも彼は、その後すぐに自殺してしまうのですが。

 しばらくして私も性と愛が同じものだと気づきますが、この二つの齟齬は世間ではかなり大きなものです。そもそも「性」を描くことだけを純粋にテーマにした小説とか映画というのは大体がポルノとして表の社会からは遠ざけられます。「ポルノ以上の価値」があるとされる純粋ポルノは、寡聞にして十八世紀末に登場したマルキ・ド・サドくらいしか思いつきません。『O嬢の物語』(ポーリーヌ・レアージュ/一九五四)だって「O」は愛を求めていたし、二〇一一年に出版され話題になったアメリカのエロティック小説『フィフティ・シェイズ・オヴ・グレイ(Fifty Shades of Grey)』(E・L・ジェイムズ)だって純粋に性だけを書いていたら物語は成立していません。ほとんどすべての「性」は、「愛」の色付けによって、あるいは「愛」にならない葛藤によって、あるいは「愛」ではないという逆説によって、意味を付与されてきました。まさに芥川の指摘した〝ポエム化〞の罠です。
 ちなみに、三島由紀夫はこの「愛」による〝ポエム化〞化を避けるために、「美」という概念をそこに置き換えたと、二〇一九年に亡くなった橋本治が看破しています。

 血みどろの性欲を語るために「美」という比喩が使われ、同時に、血みどろの性欲を示唆するものが、「美」を語るための比喩にも使われる。そこまでは三島由紀夫の尋常であるが、しかし、文体における装飾性には、もう一つの役割がある。それは、論理を迂回させる機能である(*7)。

 いずれにしても、私たちはそういう「性」を迂回させる共同幻想の中で〝表〞の世間を営んでいるようです。

匿名と実名のあわいで~フレディが陥った〝倒錯〞

 ところでアメリカでは六〇年代の女性解放運動や性の解放の時代に、そんな〝幻想〞や〝ポエム〞に頼らない、そのままの「性」が探究されました。ヒッピー文化とかフリーセックスとか麻薬とかによって、「人間性の拡張」が唱導された時代です。

 ところがゲイ男性の自叙伝として史上初めて全米図書賞を受賞したポール・モネットの『Becoming a Man(男になるということ)』(未訳/一九九二)が、当時の時代状況を「ヒッピーの性革命はだれもがだれとでもセックスできるということではあったが、ゲイであってもいいということではなかった。女性にも有色人種にも戦争にも政治哲学はあったが、ゲイにはなんの政治的意味もなかったのだ」と書いています。
 奇妙な逸話もあります。ある作家が七〇年代初期に、思想・政治分野を扱う専門書店でゲイに関する本があるかと訊いたら「ポルノや変態モノは置いてない」と言われたというのです。店の本棚には女性、少数民族、さらには動物への抑圧という本まであったのですが、ゲイに対する抑圧は「なかった」。

 アメリカ合衆国はもともとピューリタンの国で、大雑把にいえば俗に堕したカトリックのヨーロッパから、もっと聖書に忠実な国を作ろうとやってきたプロテスタントの人たちが西へ西へと拠点ごとに教会を作りながら拓いてきた土地です。なので、「アメリカはセックスにもおおらかでポルノも見放題」と言うのは実は微妙に思い違いで(ヨーロッパ人と比べると、アメリカの白人文化ではお風呂で裸を見せ合うことさえ恥ずかしがることも多いのです)、性表現やポルノはあくまで「表現の自由」を保障した合衆国憲法修正第一条で保護されているだけであって、実際には厳しくゾーニング(表現のTPO規制)されています。逆にいえばゾーニングさえ守れば性の享楽も保障されているのですが、前段で示したように、ゲイは六〇年代の性解放運動からも除外され、社会的弱者の政治運動からも排除されてきた。「どうすりゃいいんだよ!?」ってなもんです。

 先ほど比喩として歌舞伎町(男性異性愛者たち)と新宿二丁目(男性同性愛者たち)の性の在り方の比較を挙げましたが、クローゼット(自分の性の在り方を「押入れ=プライヴェートな場所」に隠しておかなければならない状態)という意味では宗教的制約の実感が乏しい日本の異性愛者たちより、プロテスタントの国であるアメリカの異性愛者たちは比率としてはもっとずっと秘匿圧力が強いかもしれません。当然の帰結として同性愛者たちもまた同じく、アメリカではもっと過酷にクローゼットであることを強いられました。そしてそこに、自分たちだけが除外され排除された「性の解放」と「人権運動」の気運が、「いや、そんなことはないはずだ」という反作用として、後追いあるいは後付けの形で入ってくるのです。これも「ストーンウォール・インの暴動」がきっかけでもあったはずです。

 ところがいくら「性の解放」と「人権」と言っても、ゲイにとっては当時、それはまだ厳しく匿名での言挙げでした。なぜなら異性間と違って、同性愛者たちにはソドミー法(*8)が存在していたからです。ソドミー法によって性行為に関係することが(つまりは性愛のすべてが)一括りに犯罪とされた社会で、社会生活を営みつつゲイであると実名を明かすことはリスキーに過ぎた―なぜならカミングアウトは、「犯罪者としての名乗り」でもあったのですから。

 それでも性愛への希求は募ります。性愛=性欲と恋愛欲、そのどちらも同じステロイド分泌あるいは幸福ホルモンのオキシトシンの為せるワザなんでしょうが、しかし匿名でも可能なものは性愛の「性」の部分でした。「愛」は匿名では為し得ない。社会生活においてはなおさら。けれど「性」は匿名で〝処理〞できるのです。性欲を処理する→ステロイド分泌の欲動に片を付ける→恋愛欲も片が付く。そういうことです。

「性の解放」はしかし、本来はもっと大きな「性の可能性の拡張」のことでした。異性愛者にとってそれは文字どおり「人間性=生き方の可能性の拡張」だった。彼らにとって、「性」は「生き方」の根幹の一部だったからです。

 ところが、匿名のままの「生き方」を強いられた同性愛者たちにとっては、「性」は「可能である自分」のすべてでした。「性」以外に匿名で可能なものはなかったからです。そこにしか自分につながる「本当」がなかった。「性」は「生」と切り離さざるを得なかった。「性の可能性の拡張」は「人間性=生き方の可能性の拡張」とは遮断されていたのです。

「性」以外の残りの「生」の部分で社会生活を営み、仕事もし、人とも話し、家族親戚とも付き合っているのだけれど、実名でのそんな生活の方が「ウソ」に思えて、匿名でのセックスだけが「本当」の自分に思えてくる。それこそが〝倒錯〞でした。ですが、どうしようもないのです。それが〝倒錯〞だと気づいたら、あとはクローゼットから出る以外にない。にもかかわらず、クローゼットから出た途端に同性愛者たちは「性犯罪者」になったのです。
 もちろん「愛なんて〝ポエム〞は必要ないさ、セックスだけで一〇〇%満足」と嘯く人が存在するのは、異性愛者も同性愛者も分け隔てありません。〝片付け〞のメカニズムは誰にでも平等に働きます。さらに進めて言えば、異性愛者にも同性愛者にも、男性の場合、射精してしまえばそれで終わりというタイプAと、射精してから相手がより愛おしくなるタイプBとがいます。もちろんこれも二元論ではなくて相手によって違うという人が多いでしょうから、ここは偏差、傾向で判別してください。そして異性愛・同性愛どちらのタイプAにも、そのためだけの場所はビジネスとしてもすでに用意されています。私たちはそんなすごい規範化の社会に生きています。

 まあそういう諸々の事情の詳細は、ここで私が口を挟みたいことではありません。私がいま口を挟んでいるのは、どうしてレインボーマーチ札幌のパンフレット協賛広告が性産業のものに偏っていたのか、の背景の、一つの説明です。このプロローグの冒頭に記した『ボヘミアン・ラプソディ』の話に立ち戻れば、フレディはなぜセックスに溺れたのか、の答えの可能性に関してです。

 そしてフレディがそうだったように、「性の解放」と「人権」とが結びつき始めた不完全な匿名の過渡期に、ゲイ・コミュニティにエイズ・ウイルスが襲い掛かる―。

 列挙しながらもまだ説明していないことがあります。フレディはどうして女性ではなく男性に惹かれたのか? そもそも同性愛って、何なのか? そしてなぜ映画のバンド・メンバーたちは、彼がゲイでHIV陽性とわかった後でもああもやさしく描かれているのか?―そのやさしさは、一九九〇年代を経てやがて二十一世紀の最初の年から、人権先進国での同性婚(結婚の平等)の動きへとつながっていきます。ほどこしではなく、平等の気づきとしての友愛のやさしさとして。

 その流れ、変遷をたどることは、私にとって、私たちの生きる「世間」の謎解きの航路でもあり、同時に、私たちのさまざまな「生き方」の練習問題でした。


*1
The Origin of the Beatles Haircut(ビートルズのヘアカットの起源)との記事(二〇一二年一月二十六日)に「休みだったのでバカなことをやりたかったのだ」というポールの証言がある。
https://www.neatorama.com/2012/01/26/the-origin-of-the-beatles-haircut/

*2
二〇〇一年のオランダに始まって二〇二一年六月現在、二十九の国・地域で同性婚が可能。婚姻とほぼ同等の権利が保障されるのは三十三カ国。アジアでは二〇一九年五月から初めて台湾で同性婚が法制化。

*3
在日米国商工会議所意見書「日本で婚姻の平等を確立することにより人材の採用・維持の支援を」
https://static1.squarespace.com/static5eb491d611335c743fef24ce/t/5f6d9f53c4fbac20f49898b4/1601019733492/2017+Marriage+Equality+%28HRM%29.pdf

*4
男性から女性へ(Male to Female)、女性から男性へ(Female to Male)のトランスをそれぞれMtF、FtMという。

*5
レインボーマーチ札幌」は二〇一三年に終了。二〇一七年以降、別組織の運営で「さっぽろレインボープライド」が開催されている。

*6
一九九一年五月、同性愛者人権活動団体「動くゲイとレズビアンの会 OCCUR」(後述)が岩波書店広辞苑』に「同性愛を異常性欲とする根拠は何か?」と申し入れ、同書は同年十月の第四版改訂で価値中立的な記述に修正された。以後九〇年代半ばにかけ平凡社、TBSブリタニカ、小学館、学研の百科事典などもこれに続いた。

*7
『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』二百三十七頁(橋本治/新潮社/二〇〇二)。

*8
生殖に関係ない性行為=反自然な性行為をすべて違法とする法律の総称。「ソドミー」は、旧約聖書にある、男性間性行為の横行を暗示させる町「ソドム」から派生した「肛門性交」の婉曲語。